スナフキンの強さ
最近着実にノートづくりをすすめていて、引っかかるものがあったからブログにも書き残しておくことにする。
まとまりはないけど、他の人にも何か引っかかるならそれでいいかなと。
ブログ自体停滞気味だしね☆
ここ数年でやたらと自己啓発は流行していて、蘆薈さんも結構なマニュアルオタクなわけですが…
ミニマリストとエッセンシャル思考とカーネギーの共通点にしっかりした自己分析、絶対に必要なものだけを残し、他は全て捨てるという考え方がある。
要らないもの、そしてあってもなくてもいいものはとにかく断つ。
そして残った(残した)絶対に必要なものだけをひたすらに大切にする。
ものであろうと人間関係であろうと。
曰く“絶対にイエスと言い切れるもの以外”は絶対に“イエスではない≒ノー”なのだ。
そして、一度ノーと出たそれらは慈悲なく切り捨てその後のことは結果に全てまかせる。
自分がやると決めたことをやったなら、あとは結果(相手)がやること。
そこには干渉しない。
もっと良い方法があっても、口を挟みたくなるような選択を相手がしても、それは自分のことではなく他人のことであるからして口を挟むことではない。
いや、俺には無理だぁって思うくらいのことなんだけど、最近は意識的に実践するようにしてます。
とりあえず断捨離したり、人間関係を見つめてみたり。
なんか、冷酷な感じを受けてなじまないけど、でも相手にその気がないならしょうがない(しょうがないってやりよう(〜しよう)がないって言葉から来てるのかな?)のだから切り捨てしかないのだ。
それ以上の干渉は執着にすぎず、ときに自らの人生を歪ませる(蘆薈さんはこれで歪みまくってる自覚はあります。でも、なかなか切り捨てれないんだよなぁ)
それでも、とにかくやってみると多少変わったのかこんな記事を書く気になったワケですが。
つなげ方がわからなくなってきたんでぶっ放す!
ムーミンにこれらの実践者がいまして。
俺の一番大好きなムーミンキャラにして憧れの存在の一人なんですわ。
そう、きっと人気抜群なキャラであるカレ。
スナフキンである。
彼は自分の思想に忠実で悟りきったように生きている。
だからスナフキンはカッコイイ。
あの頃から究極にミニマリストだったから。
小さくて小さくて、壊したくなるくらい小さくて、でも生き残ったつよさだから。
例えば、こんなセリフ
「良いテントだね。でも、人間はモノに執着せぬ様にしなくちゃな。捨てちまえよ。そのパンケーキを焼く道具も。僕達にはもう、必要のないものだもの」
例えばこんなセリフ
「僕は見るだけにしてるんだ。そして立ち去るときにそれを頭の中にしまっておくのさ。カバンを大きくするよりそのほうがずっといい」
ムーミン発祥の時期からすでにこんなことを言っているのであるからすごい。(現代人並みの感想)
子供の頃から“旅人”という生き方になんとも言えない憧れを持っていたのだけれど、こういう自分には到底行き着けないような在り方を当たり前のように言ってのける感じが好きなのかもしれない。
マントとリュック一つと何故か一つの楽器というスタイルがすごくカッコイイと思っているのは何故なんだろう(スナフキン然り、ガッシュに出てきたアポロ然り)
この答えの一つはこうした悟った感じを連想するからなのかもしれない。
他にもスナフキンはこう言っている
「長旅に必要なのは大きな荷物じゃない。口ずさむ一つの歌さ」
「荷物が増えるというのは本当に恐ろしいことですね」
モノにも人にも、呪いに発展しかねないほど執着してしまう自分としては、本当に肝に銘じていきたい思想なのでした。
彼は何があってもブレることはなく、外の世界に流されることもなく。
その場を魂で味わいつくし、その刹那で完結する。
誰が彼を染められようか。
誰が彼に勝てようか。
無理である。
人間のありのままってのはレティゴーではなくてこっちだろうと!
開き直った結果人様に迷惑かけまくりでさっきまでの決意は何処へやら後悔してわめきまくるのではなく、持たず、干渉せず、されど味わい、楽しむ。
コレなのではないかと思うわけです。
柔(じゅう)ってつええよな。